終了から一週間たった週末。
やっとスーツケースをあけて、個展の荷物整理をした。
二週間はあっというま。
けど思い出すのは、期間中よりもそれまでに準備した過程。
逆に言えば開催中は準備中のことを忘れてしまってた。
覚えているうちに、書こうと思います。まず前半。
(ひとりで思い出に浸かってゴメンなさい)
09年11月、始めてまだ半年でやめてしまいそうな私に、絵の先生は「いつか個展をできるかもよ」といった。本気ではなかったと思う。きっと、目標を持たせることで継続させようとしてた。
けれど、聞いたときのわたしは驚いて「個展、、、?わたしが?」と勝手に妄想スタート。
12月。出張中の飛行機で、わたしはスケッチブックに絵を描いていた。個展の絵。そこには友達がたくさんいて、シャンパンがでてて、まるで家みたいなソファや棚があるまったりした空間。場所は大好きな表参道。
10年1月、個展をいつかやってみたいということを2010年の手帳に書き出していた。
無謀だと思っていたけど、とりあえず、ね。
書き出すと実現できる気がして、いろんなひとに「いつか」と伝えていた。
10年7月、鎌倉を外国人に案内する。リピーターの方で、リラックスしていたわたしは、実は絵を描いていること、いつか個展をゆめみていることを伝えた。彼女が、「麻布十番にいいカフェが有る」と教えてくれた。
いってみると、なんとも可愛らしい雰囲気のいいカフェ。
それ以降、よく通うようになる。
8月。この頃いろんなひとに相談をうける。恋愛とか仕事とか、わたしは聞くだけで何も助けにならず、最終的にNoRain No Rainbowと伝えるしかできなかった。
No rain, no rainbowはハワイの諺。雨が降っても必ず晴れるし、いつか虹がみえるかもよ、というふうに私は理解してる。逆に「雨なしに虹はないのよ」ともとれる。
そういう自分自身も、9月くらいから仕事で悩む。
10月。吉田千佳ちゃんがネイルサロンを銀座にオープンして、そのガールズランチに参加。千佳ちゃんには8月にランチトリップで出会ったばかりだけど、ネイルで世界を変える、と素敵な経営者マインドをもっていた。9月にあったときにこれからサロンの物件を探そうと思っていると話していて、その翌月にはもうオープン。
その直後にカフェにアポをとってあり、わたしは簡単にプレゼンをして一月に個展開催を決める。今思えば、ちかちゃんの行動力に後押しされてたと思う。嬉しいandありがとう!
11月。ジョージときょめとあっちゃんに声をかける。
個展の事を話した大学の友達にいわれた一言がキッカケ。
「あみがディレクターになって、音楽担当とか決めたりするの?」
自分で音楽を編集したり、内装したり、dm作るのも絶対不可能ではなかったかもしれない。けれど、絵を描く時間がとれなくなるのは明らかだったし、それにわたしがやっつけでやるよりももっといいモノが作れるはず。
そういって直ぐに頭に浮かんだのはジョージときょめの顔。
ジョージはオシャレ音楽を作っていて、そこにものすごくお金も時間も使ってしまうといっていた。ほんとに好きな証拠ね。
思いついた日の帰りに電話をかけ、その場でオッケーをもらった。わーい!
テーマにあわせた音楽を作れるようになる。これがこのレインボーを受けてくれた理由だったらしい。
きょめは、大学友達で泊まったことがあるのだけど、部屋がフワフワで可愛かった。彼女みたいな部屋に住みたい、と思っていたのですぐに決まった。電話で一発オッケー。
彼女曰く、内装なんてひとのためにやった事はない、でもそれで喜んでくれるひとがいるならやってみよう、といってのってくれたらしい。ありがたい。
この後きょめと何度も日暮里に布を買いに通う事になる。
DMは、正直50日前まで決めてなかった。何をすればいいかわからなかったから。
でも作成するにはイラストレーターが必要だとお店のひとにいわれた。
誰か知り合いに出来るひと、やりたいといってくれそうなひといないかしら??
きょめにきいた。ジョージに聞いた。けれど見つからない。
仕事にしているひとに頼むと料金が発生するだろう。
どうしよう、どうしよう。部屋をグルグルした。
そのとき、目の前に名刺があった。ランチトリップの名刺。めっちゃ可愛いデザイン。これだ!と思った。これを作ったのはCrewナホの後輩のATSUだった。
彼女の連絡先を聞き、急いで連絡。営業の仕事が午前様になるほど忙しい彼女と連絡が取れたのは二日後。やりたいけど時間がないから断っていたらチャンスはいつまでもこない。彼女はそういって、喜んで受けてくれた。
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